「夏休みに函館に旅行に行くんですが、
どこか良い店知りませんか?」
「あらま。良い質問だねぇ」
学生からの質問に、
僕は思わずそんなリアクションをしてしまいました。
「まずはやっぱりラッキーピエロ。
もちろん数店舗行ってね。
朝市もいいけど、海鮮系は××だよね。
ラーメンもいろいろあるけど、
××かなぁ……。
それから……」
と立て続けに言った後にふと気づき、
「あ、もちろんわかってるよね。
函館駅に着いたら……」
と言うとすかさず、彼は
「はい。駅に着いたらタクシーに乗って、
ホテルに向かいます。
その時に運転手さんに聞いてみます。
そしてそのお店に運転手さんに
連れてってもらおうと思います」
「あらま。わかってるじゃない。
だったら僕に聞かなくてもよくね?」
「そうですね。
でも先生の意見も聞きたくて……」
「だから、
“先生”って言うなっての……」
そんなやりとりの後、
彼らは教室を後にしていきました……。
僕は、とある大学で
とある講座を持っていまして。
社会理解とか、
未来予見とか、
そんなテーマで話す講座なのですが、
テーマやシラバスをたびたび脱線する、
悪い講師だったりするんです。
「いい? 例えば夏休みや冬休みに
旅行にいくとするでしょ?
その時、ガイドブックは見ない」
僕は常々こう言っています。
「ガイドブックに載ってるのは
広告を出すお店。有名なお店。
美味しいお店かどうかは……」
ガイドブックに載っているお店には、
おいしいお店もたくさんありますが、
敢えてこう言うようにしています。
「美味しいお店を知ってるのは地元の人。
みんながすぐに知り合える地元の人は
タクシーの運転手さん。
だからタクシーに乗るといいよ」
「飛行機でも新幹線でも、
まずは駅に着いたらタクシーに乗る。
タクシーに乗って、宿泊するホテルに移動。
その移動の際に、
“運転手さん、美味しいお店ご存知ですか?”
と聞く」
「聞くだけだったら運転手さんに申し訳ない。
だから、タクシーの運転手さんには、
“この後行きたいのですが、
乗せてってもらえますか?”と聞いてみる。
チェックインが15時だとして、
お店に行くのが18時だとして。
“18時前にホテルに来てもらえますか?”と
聞いてみる。
運転手さんは、売上も確保できるから、
喜んで乗せていってくれるはずだよ」
僕が言ったことを
そのまま素直に実行する学生は、
ガイドブックに載っていないような、
地元の人しか知らないような、
そしてもちろん、
とっても美味しい店でご飯を食べることができる。
初めて食べるものだったりしたら
美味しいかどうかわからないこともある。
でも、舌がその味を覚えることが、
何よりの勉強なんです。
講座でもたびたび言いますが、
何度も言う話が、
「他人の評価で決めない」ということ。
昼のランチも、
夜の飲み会も、
「ネットで探して決めないでね」
ということ。
飲食系だと、
グルメサイトがたくさんありますね。
「“××(グルメサイト)”の評価が3.8だから、
ここのお店に行ってみよう」
人はどうしても失敗したくないので、
他者評価が高いところを選びがちです。
だけど、こういう決め方はもったいない。
まずは自分で飛び込んでみる。
普段から自分で飛び込んでみる。
もしかしたら、そんなに美味しくないかもしれない。
直感が奏功して、とっても美味しいかもしれない。
でも、そこは自分で選んで、自分で決める。
“美味しくなかった”
そういう失敗があってもいいじゃないですか。
“美味しかった”、
“そうでもなかった”、
を経験しながら、
“なんで美味しいんだろう?”
“なんでそうでもないんだろう?”
を考えるのが大事ですね。
たくさんの“美味しい”、
たくさんの“そうでもない”を経験すると、
“これとこれが(こんな共通点が)あるお店は
美味しい”
“これとこれが(こんな共通点が)あるお店は
そうでもない”
自分の中で判断軸が形成されていきます。
これって、ルール化のトレーニングであり、
仮説構築のトレーニングでもある。
“誰かが良いと言っているからいいんだろう”
こういう基準で判断するクセがつくのはもったいない。
身銭を切って失敗をたくさんしていくと、
“僕がルール化した
美味しいお店3つのポイントに当てはまるな”
そんな感じで、自分の基準で
判断できるようになります。
“タクシーの運転手さんの話も
他人の評価では?“
確かにそうですね。
でも、雑誌に載ってる情報より、
地元の人たちの情報がいいですね。
確かな情報を、一次情報を。
そんな情報を集めて、
自分で確認して、
そうかな?
違うかな?
どうかな?
自分で確認しながら
自分の判断基準を築く。
そんな人が
自分で考えられる
自分で決められる人に
なっていくのだと思います。